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普現山 聖善院 西遊寺 八幡市橋本中ノ町46番地 当山は、行基大僧正ゆかりの橋本寺(奥橋本山に位置)を起源とする。 養和元年(1181年)頃、法然上人の高弟であった俊乗房重源上人がこの橋本寺を本拠として奈良東大寺仏殿再興のため西国地方を勧進されて建久6年(1195年)無事大仏殿の再建を果たされた。 西遊寺の開山上人は、後に東京の増上寺第10世となられた感誉上人である。感誉上人は、小田原城主北條氏康の次男で、元亀元年(1570年)氏康公の命により上洛して、この地が法然上人八幡宮参篭の由緒地であったので、橋本寺に留まり、天正元年(1573年)奥橋本山から現在の地に移し当山を創建した。 感誉上人の弟子、欣誉上人(当山第2世)は更に立派な堂宇を建立し、師、感誉上人の西国遊歴の縁起により寺号を西遊寺と改められた。 救誉上人(当山第3世)の代、慶長5年(1600年)5月、徳川家康公より朱印5石3斗(朱印状は西遊寺に保存)を給わり、これ以後、家康公出陣の際には金襴の袈裟を給うなど法灯盛んとなって、別格本山となって末寺9カ寺(楠葉に在る安養寺、建長寺、延命寺、光明院、極楽寺など)を要するようになった。 現存の本堂は、戒誉上人(当山第21世、嘉永3年、1850年寂)により再建されたものである。 当山第22世立誉上人(安政6年、1859年寂)は、華頂宮家から知恩院門跡になられた尊超法親王の子息である。 秀吉公が天王山で明智光秀と戦った山崎合戦の折り、当山に立ち寄りお茶を所望したところ湯ばかり沢山出したので、湯澤山 茶久蓮寺といったと伝えられている。 湯澤山 茶久蓮寺の石碑は京阪電車橋本駅大阪方面改札口の前、公衆電話の後ろにあります。 |
